怪語り参 -Another Story-
「プリクエル」
 


 
 妹が生まれた日の朝を覚えている。
 小さくて、しわくちゃで、真っ赤で、火のついたように泣いている、それ。
 僕が守らなくちゃ、と、誰に言われたわけでもないのに、透き通る泉に水が渾々と湧き出すように、そう思った。

 薄暗い部屋。明かりはなく、食べ物もない。外には井戸があったから、水は何とか手に入れられたけど、水だけじゃ空っぽのお腹は膨らまなかった。勝手に家の外に出ると父親に酷く打たれるので、こそこそと隠れて水を飲みに行かなければいけなかった。
 たまに帰って来る両親が食べ残した残り滓が、僕らのご馳走だった。それも、あまり量があるわけではなかったけれど。
「お兄ちゃん」
 妹が僕を呼ぶ。なあに、と首を傾げると、妹が「お話しして」とねだるのだ。
 何もない、空白の時間を潰すためのおままごと。
「何の話がいい?」
「青い鳥のお話がいい」
「ミチルは本当にその話が好きだね」
「うん。大好き」
 
繰り返し繰り返し、朝も昼も夜も、僕は妹に青い鳥の話を語って聞かせた。
 思い出の国、夜の御殿、森、幸福の花園、墓地、未来の国。
 光に導かれて様々な場所を旅した兄妹は、物語の最後に青い鳥を見つけて幸せになるのだ。
 
この話を僕に教えてくれたのは誰だったのか。
 昔、まだ母親がこの家にいた頃、気まぐれに僕に語って聞かせてくれたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。物心ついた頃には、両親はあまり家に寄り付かないようになっていたし、たまに帰って来ても僕らのことなど見えていないように振る舞った。見えていたとしても、それは、何かの罰を与える時だけだった。
「目が覚めたら、温かい暖炉に炎が燃えていて、湯気を立てるガチョウの丸焼きがあって、私ね、お兄ちゃんとそれを頬張るのよ」
 御伽噺が終わったら、妹は決まってそんな風に幸福な風景を思い浮かべてお喋りをした。
 今は嫌な夢を見ていて、きっと目が覚めると幸福な家の中にいるのだと。
 枯れ木のような妹の手足に、痣だらけの僕の身体。
 お腹はもう空いているのかどうかも分からず、ただずっと、しくしくと身体の内側が痛んだ。
 このままでは目が覚める前に死んでしまうと思った。
 
 
久し振りに両親が帰って来た。いつものように僕らのことは見えないようだった。
 疲れたように眠る妹の頭を撫でて、僕はふらりと、幽霊のように立ち上がった。
 そうだ。僕は幽霊なのだ。誰にも見えず、愛されず、どこにもいない。
 だから、今から起きることは、誰も知らないまま消えるのだ。

 

「......お兄ちゃん?」
 妹が目を覚ました。
 料理なんかしたことがなかったから、どうしたらいいか分からなかったけれど、空っぽのお腹にとても良い匂いがした。
 肉を焼く作業は遠目に何度か見ていたから、それを真似てみた。
「さぁ、一緒に食べよう」
 古びたテーブルに白い布を広げて、棚から食器を引っ張り出して、その上に肉を並べた。錆びたナイフとフォークをその横に置いた。立派な食事の風景だった。
 妹は目を瞬いて、ご飯? とその目を輝かせた。
 残り滓ではない食糧にありつくのは、滅多にないことだった。
「美味しそう」
「たんとお食べ」
「うん!」
 何かがなくなったことには気づかない、幸福な食卓だった。
 妹が笑っている。僕にはそれが全てだった。
 食べ終わったらまた、妹は僕に御伽噺をねだるのだろう。幼い兄妹が青い鳥を探す物語。青い鳥は幸せそのもので、それはすぐそこにあっても、なかなか気づかないのだ。妹が望むなら何度だって語って聞かせてあげよう。時間はたっぷりあるのだから。
 飽きるほどお喋りをしたら、今夜は久し振りによく眠れそうな気がした。

 床に広がる赤い染みは僕らの目には映らなかった。
 かつて、両親が僕らのことが見えなかったように。
 皿の上に乗る、赤い肉の塊をフォークで刺して、飢えた口の中に放り込んだ。

 むしゃむしゃ、ごくん。


▷Next -Prologue-

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう